みちとの遭遇〜ほとんど映画日記〜

限りある人生の中で映画や本は自分の枠を超えた新たな経験を得られる場所。それは未知なる世界・・・。

原題:「The Most Dangerous Man in America」
制作:2009年・アメリカ(92分)
監督:ジュディス・エーリック / リック・ゴールドスミス
放送:NHK BS世界のドキュメンタリー
初回放送:2010年3月1日(前編)3月2日(後編)
再放送:2010年3月8日(月)〜9日(火)10:10〜11:00
再放送:2010年4月17日(土)〜18日(日)午後4:00〜4:50


アメリカで最も危険な男〜ダニエル・エルズバーグの回想〜 

前編
アメリカの軍事シンクタンクの研究員だったダニエル・エルズバーグは、1964年、国防総省の軍事アナリストに抜擢される。当時ジョンソン大統領は、密かにベトナム戦争拡大の準備を進めていた。エルズバーグは北爆には反対だったが、マクナマラ国防長官の命に従い、ベトナム兵士のアメリカ人に対する残虐行為を見つけ出して報告し、結果として空爆の開始に加担してしまう。戦場の視察に行ったエルズバーグは、敵の攻撃が危険なためアメリカ軍が夜間パトロールにも出られない様子を目の当たりにし、本国で伝えられる楽観的な戦況の報告は全くのウソだと知る。マクナマラ長官も戦争の泥沼化を予測し、戦争推進派のジョンソン大統領に北爆の停止を進言するが退けられる。
なぜアメリカがこれほど愚かな戦争に乗り出したのか、記録に留める必要に駆られたマクナマラ長官は、1967年、ベトナム介入までの全ての経緯を記した報告書を秘密裏に作成するよう命じる。この頃、ニクソン大統領の補佐官だったキッシンジャーに対し、「この戦争に勝つ道はない」と告げていたエルズバーグも編纂に加わることになった。いわゆる「ペンタゴン・ペーパーズ」と呼ばれるこの最高機密文書の冒頭部分を、1969年に初めて目にしたエルズバーグは、ジョンソン以前のケネディや、アイゼンハワー、トルーマンといった歴代の大統領も皆、アメリカ国民を欺いてきたという事実に愕然とする。そして戦争が、ベトナムのためではなく、アメリカの私欲にまみれた犯罪にも等しいものだと知り、自分が今就いている仕事に失望と懐疑の念を抱くようになっていく。やがて反戦活動家たちの勇気ある行動に胸を打たれたエルズバーグは、国家の最高機密であるペンタゴン・ペーパーズを公表し、戦争の正当性を問うことを決意する。
後編
7千ページに及ぶ国防総省の機密文書「ペンタゴン・ペーパーズ」のコピーを終えたエルズバーグは、まず、当時戦争に異を唱えていた議員たちの元に持ち込んだ。しかし、国家の裏切り者呼ばわりされたり、愛国心がないとそしられたりするのを恐れ、内容を公表して政府の横暴を正そうという勇気ある政治家はいなかった。そこで1971年3月、エルズバーグはニューヨーク・タイムズに文書をリークする。この頃、彼はノーム・チョムスキーらとともに反戦活動に取り組んでいた。NYタイムズでは、機密文書の内容掲載がスパイ法に抵触しないかどうか、慎重な審議が行われていた。そして3ヶ月後、ようやく記事は発表される。直ちに政府から記事の差し止め請求が出され、エルズバーグはFBIとメディアの両方から追われるようになる。
しかし、NYタイムズ、ワシントン・ポストに続き新聞各紙が記事を掲載、テレビや上院議員も加勢する。エルズバーグはスパイ法違反で起訴されるが、保証金を支払い保釈。最高裁判所も、NYタイムズとワシントン・ポストに記事掲載を認め、国家の安全保障のためと叫ぶだけでは報道の事前検閲を正当化できないという、「表現の自由」に関する歴史的な判決を下した。(NHKより)


2009年 アムステルダム国際ドキュメンタリー映画祭・審査員賞受賞
2010年 アカデミー賞長編ドキュメンタリー・ノミネート

2003年に本事件を描いたTVM「THE PENTAGON PAPERS」がアメリカで製作され、2005年に、wowowでは「ペンタゴン白書 ベトナムへの決断」、スターチャンネルでは「ペンタゴン文書/合衆国の陰謀」の邦題で放送された。ドラマでは、エルズバーグをジェームズ・スペイダーが、アンソニー・ルッソをポール・ジアマッティが、パトリシアをクレア・フォーラニが演じていた。ジェームズ・スペイダーは髪型を変え本人に似せていたが、ポール・ジアマッティは実際のルッソとかなり似ていたことが印象深い。クレア・フォーラニもパトリシアと雰囲気が似ている。

本作は、当時の映像やインタビューを交え、エルズバーグ、妻のパトリシア、ルッソ、元議員、記者など当時の関係者が回想する形で語っている。エルズバーグが内部告発を決意するきっかけとなったランディ・ケーラーや文書のコピーを手伝った当時13歳の息子ロバートも登場する。

エルズバーグと妻パトリシアとの出会いは、パトリシアが自分の持つラジオ番組のために連邦議員や政府の関係者にインタビューするためにワシントンに行った時。友人が開いてくれたパーティー会場だったという。友人からは、抜群に優秀だが危険だから近づかない方が良いとアドバイスされ、女性にモテて離婚したばかりだとも聞かされるが、二人はすぐに恋に落ちる。しかし、ベトナム戦争における加担者の立場であるエルズバーグと反戦のパトリシアとは考え方の違いから一度は別れる。エルズバーグが戦争に対する考え方が変わった後に二人は再会。パトリシアは彼の良き理解者となり結婚する。

ハーバード大学でのエルズバーグの研究課題は「不確実な状況下での意思決定」というもの。ランド研究所では、仮定にもとづく危険な賭け、つまり曖昧な警告によって核ミサイルを発射すべきかどうかを研究し、戦争をしなければならない場合、どうするのが最も危険が少ないか、その判断を誰が下すのか、その決定をどのようにして伝えるか、大統領にはどのような選択肢があるかということに取り組んでいたという。そしてたった一つの事例で書いた彼の報告書がもとでベトナムの北爆が行われてしまう。
当時、エルズバーグは、冷戦の構図の中で見ていたために自分の行いは正しいと信じていたと語っている。

エルズバーグは15歳の時に父親の居眠り運転が原因で、母親と妹を亡くしている。
母親は、彼をピアニストにしたかったため、5歳から母親が亡くなるまでの10年間は、ピアノの練習に明け暮れていたという。
事故により、彼は、どんな人間でも注意を怠ってはならず、誰からも尊敬され信頼されていた父でも危険に対する油断があったことを学ぶ。
そして事故の11ヶ月前に、自分が崇拝していたトルーマン大統領が広島と長崎に原爆を落とすというきわめて問題のある行為が、注意を怠った父親と重なる。
後の彼の決断は、この出来事が大きく影響しているように思う。

エルズバーグは、ベトナムでの視察後、政府の仕事を辞めランド社に戻り、そこで初めて冒頭からペンタゴン文書を読む。そして4人の大統領の過ちを知る。
トルーマンは、ベトナム人が独立運動を行っていることを知りながらかつての植民地を取り戻そうとするフランスに資金提供し、アイゼンハワーは民主化を支援する振りをしながらジュネーブ協定が定めた自由選挙に反対し、ケネディはベトナムに派遣するのはアドバイザーだけだと言いながら実際には南ベトナムに軍事援助司令部を設置し、公然と介入をはじめ、ジョンソンは嘘で固める構図を受け継いでいた。
いずれの大統領も自分の任期中にインドシナ半島が共産主義者の手に落ちるという不名誉を避けたかったために、戦争をやめることが出来なかったのである。
エルズバーグは、自分が間違った側についていたのではなく、自分たちこそが間違っていたのだと気づく。

エルズバーグは、やがて非暴力運動の人たちと接し、自分が何をすべきかを模索し始める。そしてある日、兵役拒否者のランディ・ケーラーの言葉に心を動かされ覚悟を決める。しかし公表の決定的な後押しをしたのは、反戦思想の元ランド研究所研究員のルッソだった。ルッソはベトナムに二年ほどいたことがあり、受けの良くない報告書を作成したためにクビになっていた。二人は文書のコピーを始め、13歳の息子ロバートやがて10歳の娘メアリーも手伝うようになる。

しかし、公表するとなると困難を極めた。反戦を唱える者も、愛国心がないと思われたり、軍事機密を漏洩したと非難されることを恐れ行動しなかったのである。
エルズバーグはニューヨーク・タイムズに文書をリークする。NYタイムズは、機密文書の内容掲載がスパイ法に抵触しないか審議。底触しないと判断し記事を発表する。しかし、政府は、記事差し止め命令を求め連邦地方裁判所に提訴。連邦地裁は記事掲載の一時差し止めを命じる。ニューヨークタイムズに代わりワシントン・ポストが記事を掲載するが裁判所はワシントン・ポストにも記事の差し止めを命じる。

そんな中、グラベル上院議員が徴兵制の法案を廃案にするまで議事妨害をしている話を聞き、記事妨害の時にペンタゴンペーパーズを読み上げる話を持ちかける。彼は承諾し、延々と文書を読み続ける。読みながらクラベルがその内容に思わず涙してしまう場面が印象的だ。そして彼が議会で読んだことで文書は記録され公文書となる。

一方、行方をくらましたエルズバーグをFBIが必死で探していた時、彼はCBSテレビに出演しインタビューに答えていた。そして文書を17に分け、それぞれ異なる新聞社に渡し、ボストングローブから始まり、シカゴ・サンタイムズ、ロサンゼルスタイムズと続き文書は公表される。

1971年6月30日、連邦最高裁は文書を掲載したNYタイムズとワシントンポストに対し掲載を認める判決を下す。判決理由は「事前検閲の必要性を証明する責任を政府は果たしてない」というもの。エルズバーグはインタビューで「三権分立の重要さを初めて本当に理解した気がする」と答えている。

エルズバーグは、共同謀議の他に8件の訴因が加えられ、ルッソはスパイ行為・窃盗・共同謀議の容疑で起訴される。
エルズバーグは仕事を辞め、キャリアも捨て大きな賭けに出る。アメリカの国民は政府が自分たちに嘘をついていたこと、そしてその嘘のせいで25年もの間、殺戮行為の支持をさせられていたと分かったら反旗を翻すはずだと考えたのである。しかし思ったような反応は得ることはできなかった。彼は「私にとってベトナム人は、写真の中の人でも数だけで表せる人たちでもない。アメリカが隣人に爆撃を落としていると思うとやりきれない気分だった」と語っている。

元被告弁護人レオナード・ワイングラスは、陪審員を選ぶ時、精神分析医に相談し、こうアドバイスされたと語っている。「弁護しようとしている二人の男性は、若くて聡明で成績優秀。将来があるにもかかわらず自分の利益や出世のためではなく、主義・真情のためにそれを捨てても構わないと考えている。陪審員に中年の男性は選ばない方が良い。中年男性の多くは、自らの信念さえ犠牲にして家族のため仕事のために妥協しながら生きている。主義・真情のために危険を冒したこの二人に反感を持つかもしれない。軽蔑する者もいるだろう。」と。

しかし、裁判は思わぬ方向に展開する。ウォーターゲート事件で不法侵入したのと同じグループが、エルズバーグの精神科医のオフィスに侵入したことが発覚。エルズバーグの公判の裁判長が、FBI長官就を打診されていたこと、FBIは、エルズバーグが秘密文書を公表する2年も前に彼の電話の盗聴をしていたことを認め、ロサンゼルスの連邦地裁は、裁判の審理無効を宣言。二人に対する全ての訴追を却下した。政府の違法行為が発覚し、公正な裁判は不可能と裁定したのである。この事件がもとでニクソンは辞任に追い込まれる。

エルズバーグは語る。「私たちが必要としている勇気とは不正な戦争で命令に従ったり嘘を隠したり、権力を乱用する政府のために働いたりする勇気ではない。自分が何をしているのか正面から見据え、間違いと分かった時は、責任ある行動をとる勇気である」と。

本作の後編が放送された日、FOXでは「ボストン・リーガル」のシーズン4の最終話「愛国者たち(原題:Patriot Acts)」が放送された。
愛国心は政府ではなく、アメリカそれ自体に向けられるべきだと自らの良心に従ったエルズバーグとドラマで「批判精神と愛国心が両立しないなんて嘘だ」と語ったアランの言葉が重なる。

満足度★★★★★
お薦め度★★★★★



以下は、ドキュメンタリーでは分かり難かった流れを、Daniel Ellsberg's WebsiteのExtended BiographyWIKIPEDIA、本作、TVM「THE PENTAGON PAPERS」を参考にまとめたものです。

1931.4.7 デトロイトで生まれる
1946 父の居眠り運転により母と妹が事故死
1952 ハーバードで学士号を取得。卒業後にキングスカレッジ、ケンブリッジ大学、ウッドロウウィルソンフェローシップで学ぶ
1954 海兵隊へ
1957 ハーバード大学研究員になる
1959 ランド研究所の戦略アナリストとして勤務
1964 米国防総省(ペンタゴン)に入社
1965 実情調査団としてサイゴンの基地へ転属。報告と現状の違いを知る。
1967 政府の仕事を辞め、肝炎になりしばらく闘病期間を経てランド社に戻る。極秘マクナマラ研究(ペンタゴン文書)の作成に関わる。
1969.8 冒頭からペンタゴン文書を読む
1969.8.28 ハバーフォード大学でランディ・キーラーの愛国心についての演説を聴く
1969.10 ルッソと7000ページにわたるペンタゴン文書のコピーを始める
1970? FBIの調査がランド社へ。マサチューセッツ工科大学のシンクタンクへ移籍。パトリシアと再会。
1971.3 ニューヨークタイムズのニール・シーハンに文書を渡す
1971.6.13 ニューヨークタイムズに文書が掲載される
1971.6.28 公の場に姿を現し、マサチューセッツ州連邦検事局で逮捕される。後に保釈。
1971.6.30 ニューヨークタイムズとワシントンポストに対し連邦最高裁が掲載を認める判決を下す
1971.9.3 エルズバーグのカルテが盗まれる
1972.6.17 民主党員全国委員会本部オフィスへの不法侵入の罪で5人の男が現行犯逮捕される(ウォーターゲート事件)
1973.5.11 ウォーターゲート事件の余波として裁判の審理無効となる

Daniel Ellsberg's Website
DemocracyNow!日本サイト (インタビュー:ダニエル・エルズバーグ、マイク・グラベル、ロバート・ウェスト)

2012年3月31日映画「ウィキリークスの秘密」を見て、ダニエル・エルスバーグを知り、
ダニエル・エルスバーグを検索してたどり着きました。

「ウォール街を占拠せよ」などデモ活動が単なるガス抜きに終わらないように考えてみました。

 一つは不正を糺すこと。

 もう一つは新しい通貨制度をつくること。

2012.03.31 19:45 URL | 白井賢人 #3hri4u1c [ 編集 ]

>白井賢人さん

訪問&コメントありがとうございます。
ダニエル・エルスバーグの情報は日本語で紹介されているサイトが少ないんですよね。
なので当ブログが上位にヒットするようで(^^;)

>一つは不正を糺すこと。

そう思います。

>もう一つは新しい通貨制度をつくること

興味深いですね。
第二次世界大戦後にUSドルが強い影響力を持ちましたが、今やドルの信用はどこへやら。
ユーロなどガタガタですね。
日本の経済も不安定なのに円高が続くのもおかしな状況。
「ウィキリークスの秘密」は未見なので是非観たいです。

2012.03.31 20:21 URL | みち #ucCaNy.Y [ 編集 ]












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