みちとの遭遇〜ほとんど映画日記〜

限りある人生の中で映画や本は自分の枠を超えた新たな経験を得られる場所。それは未知なる世界・・・。

原題:「BORDERLINE」
制作国:2008年・カナダ(99分)
監督・脚本:リン・シャルボア
脚本・原作:マリー=シシー・ラブレシュ
出演:ジャン=ユーグ・アングラード/イザベル・ブレ/ピエール=リュック・ブリアン/アンジェル・クトゥ/シルヴィー・ドゥラポ/マリー=シャンタル・ペロン/アントワーヌ・ベルトラン


鬱病に苦しむ母(シルヴィー・ドゥラポ)の元で、充分な愛情を受けられずに育ったキキ(イザベル・ブレ)。空虚感を癒すため、彼女は思春期になると酒とセックスに溺れていった。やがて彼女は人肌のぬくもりなしではいられなくなり、男も女も問わず関係を持つセックス依存に陥っていく。そんな自分に決別すべく、彼女は大学教授チェッキー(ジャン=ユーグ・アングラード)の指導の下で回想録を書き始めるが、いつしか彼とも不倫関係を結んでしまう。そんなある日、彼女はパティシエのミカエル(ピエール=リュック・ブリアン)と出会い……。 (wowowより)

監督は、主にテレビシリーズを手掛けているリン・シャルボア。
原作は、モントリオール出身のマリー=シシー・ラブレシュの処女小説「BORDERLINE」(日本未邦訳)
出演は、「ベティ・ブルー/インテグラル 完全版」「ニキータ」のジャン=ユーグ・アングラード、「みなさん、さようなら」「ヒューマン・トラフィック」のイザベル・ブレ、ミュージシャンとしても活躍している「C.R.A.Z.Y.」(日本未公開)のピエール=リュック・ブリアン。

セックス依存症を扱った作品は

NOセックス、NOライフ!」 TRUST THE MAN (2005年・アメリカ)
ブラック・スネーク・モーン」 BLACK SNAKE MOAN (2006年・アメリカ)
セックス依存症の私」 DIARIO DE UNA NINFOMANA (2008年・スペイン)

などがあるが、翻訳にかけると「色情狂の日記」と出るスペイン映画の原題はいかがなものかと思う。
本作は、wowowの日曜深夜”ロマンシアターホリデー”枠でジャンルは”アダルト”となっていたが、IMDbのジャンルは”ドラマ”。赤裸々な描写はあるものの、主人公の苦悩を描いた至って真面目な人間ドラマである。また、実際に原作は高く評価されており、映画も5つの賞にノミネートされ10つの賞を受賞している。
尚、制作国はカナダだが、フランス語圏のため全編フランス語で、出演者もフランス人役のジャン=ユーグ・アングラード以外はほとんどがカナダの俳優である。

セックス依存症(性依存症)は、アルコール依存、薬物依存、ギャンブル依存、買い物依存などと同じように依存が”性”に向かう症状で、性的虐待によるストレス、幼少時に適切に愛情を与えられなかったことなどが主な原因としてあげられている。
行為は、空虚感からの逃避や自己肯定の手段であり、依存へと駆り立てる本当の心理的動機に目を向け治療しなければその行為を繰り返してしまうと言われている。

本作の原題は「BORDERLINE」。
主人公のキキが分析医に”境界がない”と言われたことからつけられている。
”内側と外側の区別がつかない”という彼女は、理性で感情を抑制することができず、何度も感情が暴走する。彼女の内面が露わになる様は、まさに分析医の指摘するように”境界がない”。

物語は、回顧録を執筆している30歳の現在を中心に、母親への不満、愛情の飢餓を感じていた10歳、アルコールとセックスに溺れていた20歳を回想する形でランダムに挿入されキキの苦悩が明らかにされる。
母親と父親の微妙な関係、祖母の子供の溺死と最後まで分からないものもあるが、自らを”愛情とセックスの依存症”と言い、”誰かに愛されるとなぜか居心地がいいはずなのに、逃げ出してしまう。なのにつらい恋愛の時は傷つくと分かっていてもしがみつく”と自助グループで語るキキの台詞が痛ましい。

<詳しい内容に触れています>

映画では多くのベッドシーンが映される。
しかしそれは単なるエロティックなものを見せたいがためのものではなく、終盤に本当にキキを愛するミカエルとのシーンと対比させるために描かれている。
ミカエルに出会う前は、どれもが空虚感からの逃避や自己肯定の手段であり、当然ながら彼女はそれで満たされていると思えない。
恐らくは、彼女が始めて満たされたのがミカエルとのベッドシーンであり、かなり大胆ではあるが、嫌らしさのない美しいシーンになっている。

翌朝に朝食の用意までしてくれるミカエルの優しさに、キキは思わずその場を飛び出してしまうが、この時、彼女は初めて、自分自身を傷つける恋愛に終止符を打つ決意をする。
ミカエルのあまりにも出来すぎのキャラは都合が良いようにも思えるが、自身の問題と真剣に向き合い乗り越えようとしたからこそ出会えたとも思え、ラストは清々しい印象を与えてくれる。

セックス依存症を真正面から真摯に描いた作品としても評価できるが、音楽や演出にもセンスの良さが感じられる。特にオープニングのタイトルバックは、芸術的な美しさ。主人公の白い裸体の上にしたたる真赤な赤ワインは、あたかも血のようでもあり、彼女の美しさと痛ましさを表しているかのよう。
ジャン=ユーグ・アングラードといえば「ベティ・ブルー」のゾルグ役が一番に思い浮かぶが、キキは、ベティの狂気と激しさを連想させるものもあり、ゾルグも本作のチェッキーも執筆活動をしているという共通点があるのも嬉しい。
本作は、日本ではDVDスルーだが、公開されたのが、カナダの他には、フィルムフェスティバルで、スウェーデン、アメリカ、フィンランドのみ。ドイツではテレビ放送されただけなのが惜しまれる。

満足度★★★★
お薦め度★★★

主な登場人物
チェッキー(ジャン=ユーグ・アングラード)
キキ(イザベル・ブレ)
ミカエル(ピエール=リュック・ブリアン)
メメ(アンジェル・クトゥ)
キキの母(シルヴィー・ドゥラポ)
カロリーヌ(マリー=シャンタル・ペロン)
エリック(アントワーヌ・ベルトラン)



キキとミカエルのシーンのみを集めたナイスな編集

悲壮感は演出の効果もあり軽減されているが、痛ましい描写が多い中で、ミカエルの存在は救われる。(嬉しくて)眠れなかったからと手作りの朝食を用意するミカエル。
パートナーにするなら料理人か菓子職人がいいかも?と思わずにはいられない(笑)

原題:「HEREAFTER」
制作国:2010年・アメリカ(129分)
監督・製作:クリント・イーストウッド
脚本・製作総指揮:ピーター・モーガン
出演:マット・デイモン/セシル・ドゥ・フランス/フランキー・マクラレン/ジョージ・マクラレン/ジェイ・モーア/ブライス・ダラス・ハワード/マルト・ケラー/ティエリー・ヌーヴィック/デレク・ジャコビ/ミレーヌ・ジャンパノイ/ステファーヌ・フレス/リンゼイ・マーシャル/スティーヴン・R・シリッパ/ジェニファー・ルイス/ローラン・バトー/トム・ベアード/ ニーヴ・キューザック/ジョージ・コスティガン


パリのジャーナリスト、マリー(セシル・ドゥ・フランス)は、恋人(ティエリー・ヌーヴィック)と東南アジアでのバカンスを楽しんでいた。だがそのさなか、津波に襲われ、九死に一生を得る。それ以来、死の淵を彷徨っていた時に見た不思議な光景(ビジョン)が忘れられないマリーは、そのビジョンが何たるかを追究しようと独自に調査を始めるのだった。サンフランシスコ。かつて霊能者として活躍したジョージ(マット・デイモン)。今では自らその能力と距離を置き、工場で働いていた。しかし、好意を寄せていた女性との間に図らずも霊能力が介在してしまい、2人は離ればなれに。ロンドンに暮らす双子の少年ジェイソン(フランキー・マクラレン/ジョージ・マクラレン)とマーカス(フランキー・マクラレン/ジョージ・マクラレン)。ある日、突然の交通事故で兄ジェイソンがこの世を去ってしまう。もう一度兄と話したいと願うマーカスは霊能者を訪ね歩き、やがてジョージの古いウェブサイトに行き着く。そんな中、それぞれの事情でロンドンにやって来るジョージとマリー。こうして、3人の人生は引き寄せ合うように交錯していくこととなるが…。(allcinemaより)

脚本は、「ラストキング・オブ・スコットランド」「クィーン」「ブーリング家の姉妹」「フロスト×ニクソン」などを手掛けたイギリス出身のピーター・モーガン。
公式サイトによると、脚本に心を動かされ、製作総指揮に名乗り出たスティーブン・スピルバーグが、監督にクリント・イーストウッドを指名したという。

臨死体験をしたフランス人の女性、霊能力を持つアメリカの男性、双子の兄を亡くしたロンドンに住む少年。それぞれが苦悩を抱え、その三人が出会うことにより再生していくという物語。
原題の「HEREAFTER」は、”来世、あの世”(THE HEREAFTER)という意味の他に、”今後、将来、未来”という意味もある。”あの世”の思いに囚われていた三人が、”未来”へと歩みだす物語ともいえる。

構成は上手いと思うが、それぞれのエピソードに斬新さはなく、つまらないわけではないが、ありきたりで面白味はない。
マーカスが、いかさま霊能者ばかりにぶち当たる場面は笑えるが、ようやくジョージと出会い霊視をする場面はまるで「オーラの泉」のよう。語る内容も想定内で意外性もない。
尚、マリーが津波に襲われるエピソードは、痛々しい場面、震災を思い出すような生々しい場面があり注意が必要である。

<ネタバレ注意>

ジョージが好意を寄せる料理教室で出会ったメラニー(ブライス・ダラス・ハワード)との破局があまりにもあっけない。
一方、”あの世”を知る者同士が共感しあうというのは理解できるが、ジョージとマリーの恋を予感させるラストは上手くまとめすぎ安易にも思える。

満足度★★★
お薦め度★★★



 
原題:「BIUTIFUL」
制作国:2010年・スペイン/メキシコ(148分)
監督・脚本・原案・製作:アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
脚本:アルマンド・ボー/ニコラス・ヒアコボーネ
出演:ハビエル・バルデム/マリセル・アルバレス/エドゥアルド・フェルナンデス/ディアリァトゥ・ダフ/チェン・ツァイシェン/アナー・ボウチャイブ/ギレルモ・エストレヤ/ルオ・チン


スペイン、バルセロナ。この大都会の片隅で、移民や不法滞在者を相手に、時には違法なことにも手を染めて日々の糧を得ている男、ウスバル(ハビエル・バルデム)。麻薬に溺れ荒んだ生活を送る妻(マリセル・アルバレス)と別れ、愛する2人の子どもたちを男手ひとつで懸命に育てていた。ところがある日、彼は末期ガンと診断され、余命はわずか2ヵ月と告げられる。死の恐怖にも増して、何よりも遺される子どもたちの今後が、苦しみとして重くのしかかってくるウスバルだったが…。(allcinemaより)

監督は、「21グラム」「バベル」のアレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ
第63回(2010年)カンヌ国際映画祭・最優秀男優賞(ハビエル・バルデム)受賞

同じバルセロナを舞台にハビエル・バルデムが出演した「それでも恋するバルセロナ」とはまるで違うバルセロナの負の一面が描かれている。

ウスバルの父は、反対勢力を殺害していたフランコ独裁政権から逃れるために、20歳の時に身重の妻と幼い長男ティトを残しメキシコに逃れるが、到着後の2週間後に肺炎で死亡。
ウスバルは父親の顔も知らず、母親は、娘アナと同じ年頃(10歳位だろうか)に亡くなり、反対勢力の家族として厳しい生活を余儀なくされたことは想像に難くない。

余命を宣告されたものの、裏社会でしか生きる術のないウスバルは、日々の生活に翻弄され、悲しむ暇もない。不法移民の生活を助けたいという善意の気持ちはあるものの、優先するのは自分の生活。
精神的に不安定な別れた妻は、アテになるどころか問題ばかりを起こし、経済的にも遺される二人の子供のことが心配でならない。挙句に、自分が良かれと思ってしたことが、お金をケチッたために取り返しのつかない大惨事が起こってしまう。
唯一、苦しみを吐露できるのは、ウスバルと同じ死者と会話ができる能力を持つベア。
”死を受け入れるか 愚かしく生にしがみつくか”というつベアの台詞が印象深い。

彼の選択は間違っていたのだろうか。愛する者を守りたいがために起きる他者の犠牲。
単純な善悪では割り切れない問題がそこからみえてくる。

悲惨な出来事が描かれているが、不思議と悲壮感はそれほど感じられない。
抑えた演出と客観的な視点からの淡々とした流れのせいばかりでなく、ウスバルが死者と話せるという特殊な能力を持っているせいかもしれない。
死者の声を聞くことは、他者の痛みを知ることことであり、荒んだ生活の中にも、彼の中に存在する善意と優しさがそれを和らげているのかもしれない。

原題の「Biutiful」は、彼が間違って娘に教えた”美しい”という意味の”beautiful”の綴り。
彼が満足な教育を受けていないことを示すエピソードであるが、そんな中でも精一杯の子供への愛情が感じられる。
映画そのものも決して”美しい”とはいえないが、見終わった後に、そこはかとなく感じる、”美しさ”。それは、不器用でも、一生懸命な主人公の”生き様”が原題の綴りのように不完全ながらも美しいと感じるからなのかもしれない。

本作は、黒澤監督への尊敬の意を込め、劇中にオマージュとして、「生きる」(1952年)のワンシーンを引用していることでも話題となったが、監督自らが、この映画を表していると感じ、予告編にも使われた村上春樹の「海辺のカフカ」の一節は、まさに映画の本質を表している。

ある場合には運命っていうのは、絶えまなく進行方向を変える局地的な砂嵐に似ている。
君はそれを避けようと足どりを変える。
そうすると、嵐もあわせるように足どりを変える。
君はもう一度足どりを変える。
すると嵐もまた同じように足どりを変える。
何度でも何度でも、まるで夜明けに死神と踊る不吉ダンスみたいに、それが繰りかえされる。
その嵐はどこか遠くからやってきた無関係ななにかじゃないからだ。
そいつはつまり、君自身のことなんだ。
君の中にあるなにかなんだ。
だから君にできることといえば、その嵐の中にまっすぐ足を踏み入れることなんだ。
その嵐は千の剃刀のようにするどく生身を切り裂くんだ。
何人もの人たちがそこで血を流し、君は両手にその血を受けるだろう。
それは君の血であり、ほかの人たちの血でもある。
そしてその砂嵐が終わったとき、どうやって自分がそいつをくぐり抜けて生きのびることができたのか、君にはよく理解できないはずだ。
でもひとつだけはっきりしていることがある。
その嵐から出てきた後、君の人生は変わっているんだ。
ビューティフルに。
 (「海辺のカフカ」より)

「これは、美しい偶然だと思います。『海辺のカフカ』を5年前に読んだのですが、それ以来この一節(予告に使用している箇所)がずっと頭から離れなかったのです。『BIUTIFUL』の予告を作っているときに、主人公の人生の旅を上手く言い表す言葉がなかなか見つからなかったんです。ちょうどその時に『海辺のカフカ』を読み直していて、作品の中に出てくるカラスという少年の気持ちを表すあの一節が、偶然にも『BIUTIFUL』の主人公ウスバルのメタフィジカルな旅をとても上手く表現していると思ったのです。ハルキ・ムラカミさんには使用の許可を頂き、本当に感謝しております。」
(アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ;公式サイトより)

脚本を執筆している時点で主役にと思い描いていたという、カンヌ国際映画祭で見事に最優秀男優賞を受賞したハビエル・バルデムの演技も素晴らしい。

満足度★★★★
お薦め度★★★★

「死は終わりではない」という死生観を受け入れられるか否かによっても
評価は分かれるかもしれない


予告編「海辺のカフカ」版



原題:「LOVE AND OTHER IMPOSSIBLE PURSUITS/THE OTHER WOMAN」
制作国:2009年・アメリカ(102分)
監督・脚本:ドン・ルース
原作:アイアレット・ウォルドマン
出演:ナタリー・ポートマン/スコット・コーエン/チャーリー・ターハン/ローレン・アンブローズ/リサ・クドロー/エリザベス・マーヴェル/アンソニー・ラップ/デイジー・ターハン


ニューヨークで新人弁護士として働くエミリア(ナタリー・ポートマン)は事務所の上司ジャック(スコット・コーエン)と恋に落ちる。妻子のいるジャックだったが、やがてエミリアは彼の子どもを妊娠、ジャックの離婚によって晴れて結婚にこぎ着け、幸せを手にしたかに思われた。しかし、幸せの象徴だった赤ちゃんは、生まれてわずか3日で突然死してしまう。悲しみに暮れるエミリアは、前妻(リサ・クドロー)との間を行き来するジャックの連れ子ウィリアム(チャーリー・ターハン)とも上手く関係を結べず、次第に追い詰められていく。(allcinemaより)

監督は、「偶然の恋人」のドン・ルース。
原作は、2006年に刊行されたアイアレット・ウォルドマンの小説「LOVE AND OTHER IMPOSSIBLE PURSUITS」(未邦訳)
主演のナタリー・ポートマンと共演のリサ・クドローは、製作総指揮も兼任している。

前半では、エミリアの身勝手さがこれでもかと描かれている。
好きになったからと、家庭があると知りながらもジャックに近づき、妻キャロリンが美人でしかも優秀な医師だと聞かされ、まるで闘争心があるかのような傲慢な態度も不快である。
家庭を壊すことができないと言うジャックに対し、避妊に失敗(本当に避妊してたのか?と疑いたくもなる)して妊娠したと打ち明けるエミリア。
もちろん、誘惑する方より裏切りという意味でも誘惑に乗る方が悪いのだが、ジャックはけじめをつけてエミリアと結婚をする。

彼女の身勝手ぶりはそれだけではない。
友人のミンディが流産した時は、”すぐまた出来るわ”と言い、自分の子供が亡くなると、慰めるミンディに対し”胎児と乳児は大違い”と言い放つ。
さすがにこの時はミンディに対して謝罪するが、自分だけが不幸を背負っているかのようなエミリアには呆れてしまう。
また、家庭を捨てた父親を憎み、別れた両親が仲良くしているのも、父親がウィリアムと仲良くしているのも不愉快なエミリアは、友人に、ジャックは道徳家で(浮気を繰り返し家庭を捨てた)父親とは違うと勘違いなことも言う。
後にジャックが、”なぜ自分を好きになったか”と問うシーンでジャック自身が指摘しているが、”法律家で家族を捨てた浮気者”という意味で二人は大いに共通している。

前半のエミリアのあまりの身勝手ぶりにイライラさせられるが、後半は様相が変わってくる。

<ネタバレ注意>

生後3日後に亡くなったエミリアの娘は、乳幼児突然死症候群(SIDS: sudden infant death syndrome)による死亡と診断されたが、気がついたら揺りかごで死んでいたというのは嘘で、実際には、抱きかかえたまま眠っていた間に亡くなり、エミリアは自分の責任による窒息死だと罪悪感を抱いていたのである。

また、エミリアが父親に対する不寛容さを露わにした事件で、ジャックはエミリアの抱えている問題と自分との結婚に関わりがあるのではないかと疑う。
父親を非難する言葉を口にしたエミリアに対し、”君は愛する者に厳しい”と返答するジャックの言葉が印象深い。

原題は、「LOVE AND OTHER IMPOSSIBLE PURSUITS」。
直訳すると「愛および他の不可能な追求」になるが、”OTHER”は前詞”LOVE” とは”別”という意味で「愛と無理な追求」という意味になると思うのだが、これは、エミリアだけでなく、ジャック、ウィリアム、そしてジャックの元妻キャロリンにもいえることなのではないだろうか。
ジャックはエミリアと息子への愛とキャロリンの要求の板ばさみになり、ウィリアムは母親への愛と現実、キャロリンは息子への愛と現実とそれぞれが最もな主張をしているのだが、複雑な状況が物事を困難にさせ、それゆえにどれもが”無理な追求”なのである。

立場や見方によってかなり異なるとは思うが、一番共感できるのは、キャロリンの立場。
エミリアは、乳糖不耐症のウィリアムにアイスクリームを食べさせたり、ヘルメットを被せないでスケートをさせるなど、例え悪気がなかったとしても、実母として医師として、エミリアをなじるのも理解できる。
本来は自分のそばにいるはずの息子が、全く血のつながらない女性のもとに、しかも自分たちの家庭を壊した張本人である。子供の前で責め立てるのは良くないとは思うが、ウィリアムの受験の失敗を二人のせいにしたいのも心情的には理解はできる。

エミリアが欲しかったのは、父親からの愛情で、それをジャックに求めていたことも事実なのかもしれない。
しかし、自身の問題は深刻だからこそなかなか気づきにくいもの。
映画では、娘の死、ジャックとの離婚、さらにキャロリンの再婚と妊娠という試練を与えることで、彼女に”気づき”を与えているように見える。

しかし、試練だけではなく救済も与えている。エミリアは、娘の死が医学的にSIDSによる死亡であったこと、彼女が抱いていた時に亡くなったのは単なる偶然であったことをキャロリンから知らされる。息子のウィリアムから頼まれたとはいえ、エミリアに語るキャロリンの言葉からは、優秀な医師としてだけでなく、同じ母親としての思いやりが感じられ感動的である。

そして一番は、ウィリアムとの和解だろうか。
共に両親の離婚という辛い経験をしている二人だが、実は映画の中で一番成長したのは、ウィリアムのようにも見える。
ウィリアムを演じたチャーリー・ターハンも「アイ・アム・レジェンド」「きみがくれた未来」と確実に子役として成長しているのが感じられるのもまた嬉しい。

エミリー役は当初、ジェニファー・ロペスが演じる予定だったが、降板により、脚本に惚れ込み製作総指揮として携わったナタリーが演じることになったという。
本作の後に出演した「ブラック・スワン」で共演したベンジャミン・ミルピエの子供を妊娠し結婚したナタリーだが、婚約者がいる男性の略奪婚という彼女自身が、まるで映画のような結果となったのは皮肉だが、自分の家族は大切にしながらも、他人の家庭は過去に何度か壊しているアンジェリーナ・ジョリーもまた、父親との問題を抱えていることは有名だが、彼女の矛盾した行動も何となく理解できたのは個人的には収穫かもしれない。

尚、本作の原作者アイアレット・ウォルドマンは、本作のエミリアと同様に、ユダヤ人でハーバード大学法学大学院を卒業している。ナタリー自身もユダヤ人でハーバード大学を卒業しているが、専攻は心理学である。

満足度★★★★
お薦め度★★★




原題:「BLACK SWAN」
制作国:2010年・アメリカ(108分)
監督:ダーレン・アロノフスキー
脚本:マーク・ヘイマン/アンドレス・ハインツ/ジョン・マクラフリン
原案:アンドレス・ハインツ
撮影:マシュー・リバティーク
出演:ナタリー・ポートマン/ヴァンサン・カッセル/ミラ・クニス/バーバラ・ハーシー/ウィノナ・ライダー/バンジャマン・ミルピエ/クセニア・ソロ/クリスティーナ・アナパウ/ジャネット・モンゴメリー/セバスチャン・スタン/トビー・ヘミングウェイ


ニューヨークのバレエ・カンパニーに所属するニナ(ナタリー・ポートマン)は、元ダンサーの母親(バーバラ・ハーシー)の期待を一身に背負い、バレエに全てを捧げて厳しいレッスンに励む日々。そんな彼女に、バレエ人生最大のチャンスが訪れる。長年バレエ団の象徴的存在だったプリマ・バレリーナ、ベス(ウィノナ・ライダー)の引退を受け、新作の『白鳥の湖』のプリマにニナが抜擢されたのだ。しかし、白鳥の湖では純真な白鳥役と同時に、奔放で邪悪な黒鳥役も演じなければならない。優等生タイプのニナにとって、魔性の黒鳥を踊れるかが大きな試練として立ちはだかる。対照的に、官能的にして大胆不敵な踊りで、芸術監督のルロイ(ヴァンサン・カッセル)に理想的な黒鳥と言わしめた新人ダンサーのリリー(ミラ・クニス)。彼女の台頭によって、不安と焦りが極限まで高まってしまうニナだったが…。(allcinemaより)

第83回(2010年)アカデミー賞・主演女優賞(ナタリー・ポートマン)受賞
第68回(2010年)ゴールデングローブ賞・主演女優賞(ドラマ部門)(ナタリー・ポートマン)受賞 
第64回(2010年)英国アカデミー賞・主演女優賞(ナタリー・ポートマン)受賞

本作は、バレエ映画ではなく”サイコ・スリラー”あるいは”サイコ・ホラー”である。

ニナが産まれたためにバレリーナとしてのキャリアを諦めた母親の大きな期待。
そして巡ってくる最大のチャンス。
しかし、いざチャンスをモノにしても、そのプレッシャーからニナは心の均衡が保てなくなってしまう。

一見、仲が良さそうな母娘の歪んだ関係、そしてニナの自傷癖。
完璧主義、嫉妬深さ、神経質で状況に左右され、相手に少しでも非があると責め立てる度量の狭さ。
小さい頃からバレエばかりやっていたからだろうか。
卑猥な話を上手くかわすこともできず、潔癖症で被害妄想。
思い込みも強い。バレエ団の華であったベスの持ち物があれば彼女の完璧さ(ベスは決して完璧ではない)に近づけると思い、ベスの所持品をこっそり盗む。
そもそもニナは大役を得る前から心に問題を抱えている。

劇中でルロイが指摘するように、ニナの道をふさいでいるのはニナ自身。
誰も彼女の足など引っ張っていないのに、勝手にそう思い込んでいる。
ニナを心配し勇気づけようとするリリーですら、彼女から見れば自分の役を奪おうとするライバル。
不安が生み出す幻覚と現実の境が曖昧になっていくニナ。
自分の姿だけでなく、ニナの内面をも映すものとして鏡が使われているのが印象深い。

監督は、本作の製作にあたり、ロマン・ポランスキー監督の「反撥」(1965年)と「テナント/恐怖を借りた男」(1976年)に大きな影響を受けたという。
「テナント/恐怖を借りた男」は未見のために分からないが、「反撥」は、男性に対する嫌悪感から幻覚を見るようになる主人公が描かれている。
壁の亀裂、主人公を捕らえようとする壁から伸びる手など、カトリーヌ・ドヌーヴの儚げな美しさもあいまってその狂気は際立っていた。

監督は、ブラック・スワンとホワイト・スワンの二面性に興味を持ったことで、もともとの脚本をバレエに置き換えたらしいが、もともとの脚本が何だったのかは分からないが、現実と妄想の境界が曖昧になる精神の混乱であれば、バレリーナでなく、主演を演じるために狂気に陥る女優の方がむしろ説得力があるのではないか。
しかしそうなると監督が版権を持っている日本のアニメ「パーフェクトブルー」と重なってしまう。(監督は、映画「レクイエム・フォー・ドリーム」に「パーフェクトブルー」の一場面を使用するために版権を獲得している:使用したシーンはこちら

ちなみに本作と「パーフェクト・ブルー」は類似性があると指摘されている。

類似性があると指摘されたシーンの比較動画 ※残酷シーンがあるため要注意


バレエのことは詳しくはないが、これまでバレエ関係のドキュメンタリーやインタビューを観る限り、一流のプロとして活躍している人たちは誰もが精神力が強いことが共通している。
これは、スポーツでもいえることだが、一流の芸術家やアスリートになるためには、精神的な強さがなければ大成するのは難しい。
ニナのキャラクターがあまりにも弱々しいためにそもそもの設定に現実味と説得力が欠けている。また、痛々しい描写もただ観客を怖がらせたり驚かせたりしたいがための演出にしか思えず、人間の本来の抑圧された感情や、多面性を上手く表現しているとも思えない。
つまり、スリラーやホラーとしては上手くいっていると思うが、ドラマとしてはあまり面白いとは思えない。
そのためにラストの舞台シーンも興ざめ。さらにギャグかと思える演出には失笑。
ナタリー・ポートマンは頑張って演じているとは思うが、むしろ出演場面は少ないが、ベスを演じたウィノナ・ライダーの(演技とは思えない)迫真の演技の方が説得力がある。

満足度★★★
お薦め度★★★★